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信仰が調和する島

島内では、教会・寺院・神社が混在しています。和洋文化が混じりあう、黒島ならではの文化が生まれました。


 

島民約8割がカトリック教徒

kuroshima003禁教下の1800年ごろ、長崎市外海地区などから潜伏キリシタンが移住し、幕府の追及を逃れひっそりと暮らしていました。

幕末の64年、長崎に建立された大浦天主堂を危険を冒して訪れ、1865年5月19日にプチジャン神父に信仰告白しました。
その後、黒島の信徒はカトリックの洗礼を受け、1872年にポアリエ師が宣教師を招き今の「信仰復活の地」で初めてのミサを行いました。
その6年後の1878年、ペル-師によって黒島に教会堂が建立されて 今年で130余年を迎えます。

今も8割がカトリック信徒であり、隠れキリシタンの苦難の歴史を知る子孫です。
現在も夕方や週末のミサは欠かさずおこなわれ、黒島天主堂へ信者が集まります。

「日曜は仕事をしてはいけない日。子どものころは農繁期で働かなければならないとき、神父さまに許しを得ていた」「ミサに行かないことは考えられない」との意識は今でも強く根付いています。
また、宗教的な理由から、島の教徒の墓地では土葬が許可されています。

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ルルドの泉

kuroshima032「1858年にフランスのルルドで聖母がベルナデッタという少女の前に姿を現し、そこに数々の難病を治す奇跡の泉が湧き出た」というのが有名なルルドの泉の話です。
1891年に当時のローマ法王レオ13世が自らバチカンの宮殿内にルルドの泉の模型を造らせたことから、これに倣って世界中で「ルルドの泉」が造られるようになったとか。

湧水が豊かな隠れキリシタンの島、黒島にもいくつものルルドの泉が作られています。
100年以上前の弾圧の過酷な時代をやっと生き延びた信徒たちにとっては、模されたルルドの泉は奇跡の泉を求めてというより、純粋に信仰のより所であるようです。
※写真は、Cafe 海咲にあるルルドの泉です。


 

仏教

《曹洞宗興禅寺》

009黒島はカトリックの島というイメージが大きいですが、本村(ほんむら)地区には寺院があります。
曹洞宗興禅寺(そうとうしゅうこうぜんじ)といい、平戸津吉にある長泉寺の末寺で、黒島土地開拓により急激な人口増加に伴って造られました。
釈迦堂というところに長泉寺の隠居所として建てたいと平戸藩に願いでて1803年頃に創設。
藩としても寺請制度のもと、なんとかカトリック信者を仏教徒として管理をするための制度だったようです。
多くの隠れキリシタンが表面上は寺院の檀家となりながらも密かにマリア像を隠し持っていたなど、信徒発見後の、信仰を表明した信徒数の数に住職も驚かれたそうです。
明治以前の過去帳には、カトリック地区の人の名前も記載されていたらしく、興禅寺からマリア像が見つかったこともあり、隠れキリシタンの存在に気付きつつも檀家として扱っていたようです。
興禅寺がある本村地区は、黒島神社や本村役所がおかれるなど、藩政時代の中心集落でした。


 

神道

《黒島神社》

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黒島港近くに「黒島神社」。長い石段を上ると本殿と傍らには大きな岩戸といくつもの祠があります。
辺り一帯の社叢は黒島では唯一の自然林となっていて、縄文の森の面影を残しています。
海の神様《金毘羅神社》も奥にあります。



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