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黒島と教会堂の歴史

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1865年5月19日、黒島のキリシタン20人が、島の600余人の信徒を代表して、カトリック司祭であるプチジャン神父様に信仰告白して約150年経ちます。
250年の禁教と迫害の中、信仰を守り抜いた人々がプチジャン神父を訪ね、信仰告白を行ったことは、奇跡と言われ、世界中に知れ渡ることとなります。


潜伏キリシタン達は司祭がいなかった時代にも、洗礼と婚姻の両秘跡だけは保ちつづけていました。
信仰告白をした潜伏キリシタン達に、宣教師達は、すべての秘跡の門である洗礼の秘跡の有効性を確実にするために、その準備に取り掛かりました。
水方に正しい洗礼の授け方を教え、聖教初要理、お水帳、ロザリオ15のみすてりお図解、祝日表の印刷、十字架、聖母マリアのメダイを配布などして心の準備と教理の理解をさせ、罪の赦し、ご聖体の秘跡を授けました。


禁教の時代も生き続けていた信仰は復活へ。



西暦和暦主な出来事
1587天正15禁教令がだされる。
キリシタンであった平戸藩家老、山口治左エ門が大村に逃れ、黒島に移る。
1857安政4踏絵の廃止。
1865/5/19黒島から出口大吉親子、プチジャン神父を訪ね、黒島の600人の信徒がいることを告げる。
1872明治5ポアリエ神父、宣教師としてはじめて来島。
1873明治6キリスト教禁制の高札撤去。
ポアリエ神父、6回、1873年に来島。
1874~1877年、各年ごとに2回ずつの来島。
1875~1876明治8~9シャトロン神父、来島2回。
1878明治11末ペルー神父が名切地区に聖堂を完成。
イエズスの聖心に奉献。
郡区制定により津吉村黒島となる。
1880明治13黒島愛苦会がペルー神父によって設立。
1880/6,8,11ソーレ神父、来島。
1880/7,8プト神父、来島。
1880/11ボーヌ神父、来島。
上神崎に移住がはじまる。
1881/9明治14フェリエ神父、来島。
1882/10コール神父来島、1883年1月にも来島。
1882~1897マタラ神父(ラゲ神父の助任司祭)、黒島司祭館で伝道師の養成を1897年迄。
ラゲ神父の転任後は、平戸地区の責任者となる。
1883~1887ラゲ神父、 黒島巡回。
1885明治18北松浦郡黒島村となる。
1886明治19ラゲ神父、田平の横立に山野一町を買い、黒島の辻小一氏ほか2家族を移住させる。
1887明治20ド・ロ神父、大村の放虎原に一町歩を買う。
黒島からも移住し、1939年まで移住が続いた。
1889~1900ルマリエ神父 、黒島巡回。
1894~1895ベルトラン神父、黒島巡回。
1895~1897有安(マタラ師の助任)、岩永信平、浜崎、岩永正象神父、フェラン神父などが巡回。
1987~1912マルマン神父、以後、主任ならびに助任司祭は黒島教会に定住となる。
1900/6明治33古い教会堂、解体。
敷地造成、着工。
1900~1909ブルトン神父、主任司祭として在任。
マルマン神父は、建築工事に専念。
1901/10明治34天井を残して、工事中止。
1902/6明治35クザン司教によって教会堂祝別。
*教会備え付けの洗礼台帳から、聖堂の完成と推測。
1903~1941アンゼラスの聖鐘、フランス国デイジョンのファルニエ父子、黒島聖堂へ寄贈される。
コトレル神父、マルマン神父と共に働き、第一次大戦に応召。
1906明治39黒島教会堂、法人台帳に登記。
1910明治438月14日に迷信の事件が起こる。
事件と和解がきっかけで仏教徒であった11名がカトリックに入信。
コトレル神父より洗礼を受ける。
1914~1919ブルトン神父が司祭として、馬渡島と黒島を兼任。
1926/8~1926/10ボンカーズ神父、主任司祭として在任。
1926~1927大正15~昭和2ヴィオン神父、主任司祭として在任。
1927~1931山口宅助神父、助任司祭として在任。
1931~1947青木義雄神父、主任司祭として在任。
1939昭和14畑田善助神父、助任司祭として着任。
1940~1942今村畄市神父、助任司祭として在任。
1942~1945玉屋房吉神父、助任司祭として在任。
1946~1947渡辺聖神父、助任司祭として在任。
1947~1963田川伊勢松神父、主任司祭として在任。
1952昭和27黒島天主堂50周年記念聖体行列が、山口司教を迎えてなされた。
1954/4/1昭和29佐世保市に編入、佐世保市黒島町になる。
1956/12/25昭和31本島で最初にミサ執行の場所、郭公(こっこ)に記念碑建立。
1963~1983今村悦夫神父、主任司祭として在任。
1970司祭館、改築落成。
里脇大司教、祝別。
1981~1983昭和56~58岩村知彦、神父、助任司祭として在任。
ヨハネ・パウロ2世教皇、長崎に(1981年2月25日)
1982~1983黒島教会堂、改修工事。
屋根、床など。
1983~田中千代吉神父、主任司祭として着任。
1987/12/17信徒会館の落成祝別。
里脇枢機卿を迎える。
1987~1988教会堂の鐘塔が1987年の台風被害で、尖塔と十字架を取り換える。
1988昭和63駐車場完成。

禁教中の生活

見かけは仏教徒を装いながら、自分たちだけで密かに信仰を守り伝えていきました。


秘密の組織

キリスト教が弾圧される時代がくるのではないかと予想した宣教師たちは、信者たちに生き残る道を教えていました。
自由な時代に栄えた信心会(ミゼリコルディアの組、ロザリオの組など)をもとに、信者たちの秘密の組織が作られました。
それは、次の3役で構成されました。


帳方(ちょうかた):毎年祝日を決める役、その秘伝を伝承している人。これを記したものを「お帳」または「日繰」といい、信仰生活のよりどころとしました。

水方(みずかた):洗礼を授ける役。集落ごとに1名、組織の最高権威者で世襲制をとっていました。授け役ともいいます。

聞役(ききやく):洗礼を授ける「水方」の助手役で、洗礼の時、水方が御用分(お授けの言葉)を間違わないように聞いている役目をすることから起こった名称といわれています。

また、長崎では「帳方」の家に集って、その週の「さし合い」の日(祝日)を聞いて帰り、各戸に触れ回る任務をしていたことに由来するともいわれ、「触役」ともいわれます。
こうした組織の指導系統ができ上がり、250年間に及ぶ長い間、神父が不在の間も、信者たちは信仰を伝えていったのでした。


潜伏中の儀式

秘密の組織は作ったものの、気づかれないように、隠れて信仰を守り伝えるのは大変でした。
そのため信者たちは、いろいろな工夫をしました。
檀家(だんか)制度によって、普段は仏教徒を装っていた信者たちは、踏み絵を踏んだり、宗門改の時には口先だけで信仰を捨てたり、また葬式のために僧侶を呼んだりしなければなりませんでした。
しかし、その後で自分たちだけで葬式をやり直し、神のゆるしを求めて、コンチリサン(痛悔)の祈りを唱えるのでした。
また、家には仏壇や神棚を置き、仏像や先祖の位牌(いはい)もまつりましたが、それらをイエス様、マリア様の代わりにして、祈ることもしていました。
マリア観音(かんのん)などが、その一つです。
キリスト教の行事を自分たちの言葉で、密かに守り伝えて来ました。


ご産待ち(ごさんまち) …… クリスマス・イブ
ご誕生(ごたんじょう) …… クリスマス
悲しみの入り      …… 灰の水曜日
–この日から四旬節に入る–
お花(おはな) …… 枝の主日
上がり様(あがりさま) …… 復活祭
四十日目様        …… 昇天祭
十日目様(そおかめさま) …… 聖霊降臨祭
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お授け(おさずけ) …… 洗礼
直会(なおらい) …… 聖体
御神酒(おみき) …… ぶどう酒
刺し身(さしみ) …… パン