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黒島天主堂

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黒島天主堂(くろしまてんしゅどう)は、長崎県佐世保市の黒島にあるカトリック長崎教区の教会およびその聖堂です。
明治期のレンガ造の教会としては規模が大きく、外観意匠はロマネスク様式の簡素な構成、リブ・ヴォールトの内部空間は完成の域に達したとされ、その後の周辺の教会建築に与えた影響は大きいといわれます。
正式名称を黒島教会(くろしまきょうかい)といい、1998年に国の重要文化財に指定されました。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として、2007年、世界遺産暫定リストへの追加が決定、黒島教会も登録候補の一つとなり、2016年には国内推薦候補のひとつとなりました。
 

《成り立ち》江戸時代後期、平戸藩が入植を認めると外海や生月島からも潜伏キリシタンが黒島へ移住しました。
1865年3月、長崎の大浦天主堂で「信徒発見」がなされると、その2ヵ月後には早くも黒島から20人が大浦天主堂を訪ねて信仰を打ち明けました。
禁教がまだ解けていなかったため、迫害がありましたが、島内信者全員約600人がカトリックに復帰しました。
1878年に木造の教会を建造。その後、1897年に着任したマルマン神父が設計し、本格的な教会の建設を伝え、信徒もそれに応え、1902年に現在のレンガ造りの教会が完成しました。

 

信仰を守ってきた証、黒島天主堂。


歴史

禁教の時代に入っても根強く信仰を守ってきた黒島の人々は、「信仰の証」として黒島天主堂を建てました。
 
潜伏した黒島キリシタンの教会復帰は早く、 信徒発見の2ヵ月後には黒島から20人の総代が大浦のプチジャン神父を訪ねて信仰を告白、その後ポワリエ神父が総代の一人・出口大吉の家で最初のミサを行い、1873年には「カトリックの島」になりました。
現在の煉瓦造教会は、マルマン神父の努力と信者の献身的な勤労奉仕で建てられました。
長い禁教の時代より念願であった教会建設の為に、貧しい生活の中から建設費1万2千円を捻出し、また労働力という形で惜しみない奉仕をしました。
約40万個の煉瓦や資材は名切の浜からの急な坂を背負って運ばれました。
そして、長くつらい禁教の時代を乗り越え、念願であった教会が完成しました。(総工費1万5千363円)

年表

1865年5月 – 長崎の大浦天主堂における「信徒発見」から2か月ほど後、早くも在島信者の代表約20名が同天主堂に赴いています。
1878年(明治11年) – 現在地にペルー神父の木造聖堂が建てられました。
1897年(明治30年) – パリ外国宣教会から主任司祭として赴任したフランス人のマルマン神父の指導と信徒らの献金および奉仕により、現在の聖堂を建設。なお教会備え付けの洗礼台帳から、聖堂の完成は1902年(明治35年)のことと推測されています。
1998年(平成10年)5月1日 – 国の重要文化財に指定。長崎県内の教会堂としては大浦天主堂(国宝)に次いで2例目となります。
2006年(平成18年) – この頃より「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産に登録しようという運動が長崎県を中心として始まりました。
2007年(平成19年) – 1月23日、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産暫定リストへの追加が決定、黒島教会も登録候補の一つとなりました。


 

100年余の時を信徒と歩み、未来へ受け継がれるもの。


建築様式

黒島のほぼ中央に北面して建つ、煉瓦造および木造、切妻造、瓦葺きの三廊式バシリカ型教会堂です。
規模は間口15.0メートル、奥行32.6メートル。外観はロマネスク様式を基調とし、ファサードはペディメント下にバラ窓を設られました。
正面にはバラ窓以外の窓はなく、壁面にブラインド・アーケードやブラインド・アーチ(壁面にアーケードやアーチ形の装飾を造るのみで、開口していないもの)を設けてあります。
入口上には四角錐形屋根をもつ鐘塔が立ち、外壁は大部分を煉瓦壁ですが、上方のクリアストリー部分の外壁は下見板張になっています。
内部は柱列によって身廊部と側廊部に分ける三廊式で、身廊部はアーケード、トリフォリウム、クリアストリーからなる三層構造であり、天井はリブ・ヴォールト。
側廊の壁面とクリアストリーにはステンドグラスを嵌めこんであります。天主堂の保存状態がよく、明治時代に外国人神父の指導によって建設された、様式的にも整った本格的な教会堂建築として貴重な遺構と言われています。
今村天主堂と並び最も完成された大規模煉瓦造りの天主堂とも言われています。

 

様式 – ロマネスク様式
設計 – マルマン神父
棟梁 – 前山佐吉
竣工 – 1902年
構造 – 煉瓦造および木造、瓦葺き平屋建て
外壁の一部には信徒たちが黒島の赤土を焼いて作られたレンガが使用されています。基礎には黒島特産の御影石、祭壇の床には磁器のタイル(有田の松尾窯業作)が使われています。

 

造り

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マルマン神父の設計と指導のもと、明治33年着手された天主堂建設は、信徒たちの献金と勤労奉仕で35年(1902年2月6日)に完成しました。
レンガ造の教会は全国で17棟しかなく、その全てが九州(うち16棟は長崎県)にあり、黒島天主堂はそのうち4番目に古い建物です。
建物の構造についても、レンガ造の一般的な教会の多くが単層構造(層が多いほど屋根が高くなり、建設に高い技術が必要となる)であるのに対し、黒島天主堂は長崎の大浦天主堂(国宝)と同じく3層構造になっており、建築当時はまだ単層構造が主流であった時代に、多層構造をいち早く取り入れた教会建築物として重要な存在です。

当時の黒島の信徒たちは貧しく上質の材木が仕入れられないながらも、豪華にみせるためのリブ・ヴォールト(蝙蝠天井)は、櫛目引きという技法、柱は束ね柱で装飾されました。
主柱はケヤキの木を使用しています。

天主堂建造に使われたレンガの総数は40万個ともいわれています。強度のあるイギリス積みで積まれたレンガは、島外から取り寄せたものが大半をしめます。
マルマン神父は手先が器用だったという話が残されており、天主堂の説教壇やシャンデリア、洗礼台の彫刻は神父自らの手によるものです。
天主堂に飾られている像の多くはマルマン神父が資金調達のため、フランスに戻った際に購入してきたものと言われ、ステンドグラス、アンジェラスの鐘や聖人の御像などはフランス製です。
現在は絨毯敷きに礼拝椅子のフロアとなっていますが、昔の資料によると畳敷きでした。当時としては豪華な造りでした。

クリスマスイブには島中のカトリック信徒が天主堂に集まり、入りきれずに外で覗いている人までも祈りをささげてます。ミサが終わると教会から信徒の皆さんにショートケーキが振舞われます。

 

観光動画

アクセス

〒857-3271 長崎県佐世保市黒島町3333番地

相浦桟橋より黒島旅客船のフェリーで黒島港まで約50分、港より教会までは徒歩約30分。

見学について

見学をご希望の場合は、事前連絡が必要です。

見学申し込み
教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
教会見学時のマナーと利用規約を「長崎の教会群インフォメーションセンター」の黒島天主堂ページ内でご一読いただき、同サイト内の予約システムをご利用ください。
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