黒島について

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黒島は、長崎県佐世保市の北松浦半島の南西沖合にあり、佐世保市本土から西へ約12km離れた島です。九十九島近辺では最大の島です。

  • 周囲-12.5㎞
  • 面積-5.37㎞
  • 人口-538人(2010年国勢調査確定値)
  • 1954年、佐世保市に編入

     

    フェリーですぐ行ける教会のある島。


    名前の由来

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    黒島の島名には、二つの説があるといわれています。
    一つは、黒島を海上から見た際、樹木が密生しており黒く見えるために、「黒島」というのだという説。

    もう一つは、カトリック教徒が多く住んでいたため、『クルス島』(cruz=ポルトガル語で十字架の意味)といわれ、これがなまって「クロ島」になったという説です。
    また、黒々とした岩の色感、つまり御影石の色からではないかという説もあります。

    歴史上では、鎌倉時代に平戸松浦氏の始祖である峯五郎被の所領中に黒島の地名が出てきますが、それは日本へのキリスト教伝来よりもずっと前のことなので、黒島の地名は海上から見ると木々が黒々しているためにそう呼ばれるようになったという説が有力であると考えられています。

    湧水の島

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    孤島にもかかわらず島内のいたるところに湧き水があり、そのことから古くは「水島」とも呼ばれていました。

    現在、井戸も百か所以上あり、渇水もなく湧水しているほど水が豊富です。
    各井戸は井戸水の利用者数世帯で管理されており、きれいな水を守るために、生活排水と混ざらないよう、山の中など、家屋から離れた場所に井戸をつくってあります。

    豊かな水と信仰が生んだ「ルルドの泉」も島内各所でみられます。


8地区からなる島

移民の開拓の歴史がみえる島。


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黒島港より時計回りに、本村(ほんむら)、東堂平(とうどうびら)、古里(ふるさと)、日数(ひかず)、根谷(ねや)、名切(なきり)、田代(たしろ)、蕨(わらべ)の8地区があります。


本村(ほんむら)
島の北岸中央部にある集落で、主に仏教徒が住む地区。
古来より仏教徒が集まり生活している集落を“本村”というのは他の地域にもよくある例で、佐賀県の馬渡村にも同名地区があります。
東堂平(とうどうびら)
島の北海岸に面する平坦地。
その昔、お堂があったということから、この地名がつきました。本村が島の中心と考えられていたとして、東のお堂が立っていたところという意味です。
古里(ふるさと)
島の東端部の集落で、仏教徒が多く住んでいます。
かつて天主教教徒が迫害をのがれ離島し、一時的に無人島になったあと、平戸より移住した仏教徒が本村と古里へ住んだため、8区の中では古い集落という意味で「古里」とつけられました。
日数(ひかず)
島の東海岸に面した地名。
朝日がさす日を暦代わりにして日数を数えていたといいます。このことから生まれた地名。
“日数谷”という姓もあり、なんらかの係わりもありそうです。
根谷(ねや)
島の東南部に位置する地名。
黒島が平戸藩所属の折り藩領牧場だったころ、風当たりが少なく日当たりも良いところで、放牧中の馬が集まり休んでいたので“寝屋”と言われ、それが転じて「根谷」となりました。
名切(なきり)
本村から坂道をのぼったゆるい傾斜の地域で島の中央部にある集落。
“名切”とは山やがけで囲まれた地形をさす名称です。
南に進むと南岸の崖、道は狭く七曲りの急坂が海岸に達する行き詰まりの形からつけられました。
田代(たしろ)
島の中央南岸部よりの集落で、8地区のうち、かつては水田の所有量が多かったといわれています。
水田を意味する地区名です。
蕨(わらべ)
島の中央よりやや西にあり、湧水が多く、樹木も多い場所です。
昔は湿気が多い土地でワラビが多く採れたと思われます。ワラビの名称がなまり、「わらべ」となっています。